岡山大学体育会ウェイトトレーニング部 躍進の歴史 黎明期から創部
岡山大学体育会ウェイトトレーニング部 躍進の歴史
黎明期から創部まで
〜1985年
岡山大学の第2体育館では個人的にウェートトレーニングを愛好する学生が集結していた。人材は豊富であった。
皆、ひたすらでかくなりたくてトレーニングをしていた。トレーニングに関しては指導者がいなかったため、自分たちで研究して行っていたため効率は悪かった。
1985年
数人のウェートトレーニング熱がこうじてウェートトレーニング同好会を結成
当時のメンバーは 坂元、石丸、難波、山根、鷲見、小野、坪井、阿部、父母、三隅、品川、中村、見川、中野であった。部員募集にも15名程度集まったが、体育教官からストップがかかる。公共のトレーニング室を活動拠点にするウェートトレーニング同好会は認可できないと言うことであった。
このあと、非公認の組織として活動をする。しかし、組織としては次第に崩壊していき、後進の宮田、後藤にすべてを託すことになる。
1986年8月 石丸広史 Mr.岡山ボディビルコンテストに出場
彗星のごとくデビューする予定であったが、惜しくも予選落ち。
”岡大の中のかわず大海を知らず”、との名言を残す。
1988年 石丸広史 Mr.佐賀2位
1989年 石丸広史 Mr.福岡クラス別優勝
ウェートトレーニング部の誕生
1990年3月
宮田、後藤が中心になりウェートトレーニング部を組織する。
名簿を揃えて学生部へ団体結成届提出
*重量挙、陸上、アメフト部等の仲間に名前を借りる。
以前のウェートトレーニング同好会のメンバーにとっては悲願と言うべき運動部の誕生であった。ウェートトレーニング部のバックアップを目的に、以前の仲間でOB会を結成する。
1990年4月 体育会幹事会で承認され、
「岡山大学体育会ウェイトトレーニング部」創部
*全日本学生選手権優勝と世界選手権出場を目標とする。
顧問 三浦 孝仁
コーチ 小宮 克己
主将 宮田 匠
1990年5月
第25回関西学生パワーリフティング選手権大会(阪南大学)
個人の部
67・5kg級 優勝 宮田 匠
*優勝したが、学連準加盟のためメダルを貰えず。
団体の部 第3位
1990年8月 小野弘太郎が初めて関西学生ボディビル選手権大会に出場するため、有志を募り鳥取
県東浜へ身体を焼きに行く。「ビルパン姿」に女子学生は圧倒される。
1990年9月 女子部員第一号入部 教育学部2年 奥野 真理
1990年10月 第26回関西学生ボディビル選手権大会(関西外国語大学)
第7位 小野 弘太郎
*我が部から初のボディビル大会参加であり、初の全日本学生選手権出場権獲得。
1990年11月 第25回全日本学生ボディビル選手権大会
(東京都大田区)
*小野 弘太郎が出場
12月 第9回関西学生秋季パワーリフティング大会
(京都大学)
個人の部
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52・0kg超級
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奥野 真理
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67・5kg級
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第3位
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加地 真
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第4位
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小野 弘太郎
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75・0kg級
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宮田 匠
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82・5kg級
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第4位
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有吉 俊典
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82・5kg超級
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第6位
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三代 浩二
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男子団体の部
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女子団体の部
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1990年12月 第4回中国五県パワーリフティング選手権大会(広島県竹原市)
75・0kg級
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第3位
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工藤 浩二
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75・0kg級
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第4位
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中川 善文
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